松山智一(現代美術家)の家族(兄弟)や生い立ちは?結婚(妻子)や年収(収入)について調査!

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こんにちは、ボテンです。

 ニューヨーク・ブルックリンを拠点にアート活動を繰り広げ、絵画を中心に、彫刻やインスターレションなど、ギャラリーからパプリックスペースまで幅広い場所にて作品を手掛ける現代美術家の松山智一さん。国内外多くのメディアに取り上げられ、近年日本でも話題となっています。

 先日2025年3〜5月に麻布台ヒルズギャラリーで、2か月に及ぶ国内規模最大級の個展『松山智一展:FIRST LAST』が開催され、壮大なスケールと圧巻の表現力に多くの人が魅了されました。

 そんな松山智一さんの素性が気になったので、家族(兄弟)や生い立ちについて、さらに結婚(妻子)や年収(収入)について調べてみました。一緒に見ていきましょう!

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現代美術家 松山智一の家族(兄弟)

画像元:公式HPより

松山智一について

 最近は定期的に日本に帰って来れるようになったそうですが、日本を離れてからもう23年間になるそうです。「日本に帰ってくるとやっぱり落ち着くのでいいなぁ」と感じるそうです。

 松山智一さんの作品は、日本的な要素 東洋的なアイデンティティを幻想的に表現したものや、アメリカで育ったからでこそという表現のものなど、国や文化を超え、色鮮やかで細かくダイナミックな躍動感あふれる作風が特徴的です。

 ニューヨークのブルックリンに松山智一さんのスタジオがあります。多くのスタッフを抱え作品制作を行っています。自分で作った色が何千色もあり、大体一つの作品に数百色くらい使うのだそうです。何か月もかけて描き込まれていきます。

 松山智一さんは美術表現する上で、美術館という場所で「今作っている作品と時代を後世に残すために作っている」のですが、社会の公共の場でもたくさん作品を残してきました。

 例えば新宿駅東口の巨大彫刻、コロナ禍に創建100周年になった明治神宮のオブジェ、イスタンブールの芸術祭典で16mのバルーン彫刻、カルフォルニア・ビバリーヒルズの25×6mの巨大壁画、中国・重慶の景観、香港のデジタルの巨大モニターで動く絵幻想的風景画、ニューヨークの巨大壁画など。

 『自分の絵画が古今東西のものを掛け合わせた各々の文化』というよりも『これからどこへ向かうのか?』ということをテーマにしてから、世界各国で表現を発表する機会をいただくようになったのだそうです。「アート活動が巡り巡って、また日本に戻って来れるのがとてもありがたい」とコメントしています。

新宿駅東口に設置された《花尾》(2020)(画像元:ARTnewsより)

 「絵画は一つのものの見方をいろんな方向から見ることができる」と松山智一さんはいいます。今のアメリカにおても、よりこれからの多様性を表現する上で、国や人種を越えたメッセージを作品を介して送りたいとずっと考えているそうです。

Profile
松山智一 TOMOKAZU MATSUYAMA

1976年生まれ。岐阜県出身。幼少の頃をアメリカで過ごし、中高時代は暁星国際学園、上智大学経済学部卒業後、2002年に渡米しニューヨーク私立美術大学院プラット・インステュートコミュニケーションズ・デザイン科を首席で卒業。ニューヨーク・ブルックリンを拠点にアート活動を繰り広げ、絵画を中心に、彫刻やインスターレションなど、ギャラリーからパプリックスペースまで幅広い場所にて作品を手掛ける。これまでにニューヨーク、ワシントンD.C.、サンフランシスコ、ロサンゼルス、日本にて個展を開催。LACMA、マイクロソフト コレクション、ドバイ王室コレクション、その他名だたる箇所に作品が所蔵されている。2019年、ニューヨークのハウストン・バウリー・ウォールに巨大壁画を完成させ、TBS番組「情熱大陸」で特集されたほか、国内外多くのメディアに取り上げられる。2021年5月、日本国内初作品集「IN & OUT」をリリース。

松山智一の両親

父親

 小学3年生の頃ロサンゼルスに行くことになった松山智一さん。ある日突然父が「牧師になりたい」と母の影響もあって言い出したそうで、ちゃんと聖書を勉強したいということで、留学の形でお金が尽きるまで3年半LAで暮らしました。お父さんも相当面白い方だったようです。

 松山智一さんは「飛騨高山から当時80年代にロサンゼルスに行くというのは、なかなか子供ながらにカルチャーショックだった。そこは原体験として以後なかなか元通りになれない人生体験だった。」と当時を振り返っています。

母親

 松山智一さんのお母さんはクリスチャンであり、松山家に仰を根付かせた中心的な存在だったと言われています。家族でキリスト教の価値観に触れるようになり、お父さんが牧師の道を歩むようになるほど、大きな影響を与えたのだと思います。家族のアメリカ移住も、実はお母さんの強い希望だったと言われています。

 松山さんの作品には、宗教的なテーマや家族愛を感じさせるモチーフが随所に見られます。こうした家庭環境が、精神性や生きる姿勢の根底にあり、創作活動に表れているのだと思います。

松山智一の兄弟

 松山智一さんの兄弟について調べたところ、3歳上のお兄さんがいました。映画監督の松山博昭さんです。お兄さんのプロフィールは次のとおり⇩⇩

(画像元:フジテレビジョンHPより)

名  前 松山博昭(まつやま ひろあき)
生年月日 1973年8月14日生・51歳(2025年5月現在)
出  身 岐阜県
職  業 映画監督・テレビ演出家
学  歴 上智大学卒業
経  歴 1998年フジテレビジョンに入社・2003年ドラマ『ビギナー』で初演出担当
代表作品 『LIAR GAME』シリーズ/『長協奏曲』/『ミステリと言うれ」など

 兄弟それぞれが異なる分野で活躍しているものの、独自の視点と創造力、作品を通じて新たな価値を提供する、という点では共通しているようです。

役を演じる菅田将暉さんとも意見交換しながら・・(画像元:フジテレビジョンHPより)
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現代美術家 松山智一の生い立ち

 幼少期に3,4年間アメリカの西海岸に暮らし、日本に戻って大学を卒業してから再びアメリカに仕事で渡ったという松山智一さん。生い立ちを見てみましょう。

 小学校3年生から6年生までアメリカの西海岸の集団住宅地に家族で暮らしていた松山智一さん。そこは移民が多く、決して裕福ではない、複雑な家庭環境を持つ子供達が多かったようです。ヒスパニック系や黒人の友達など多くの人種が在籍する小学校に通いました。

 80年代当時のアメリカは、若い世代が文化を担う黎明期で、その中にスケートボードやサーフカルチャーが存在し流行りだした時だったため、仲良くしていた移民の子供たちとスケートボードに夢中になって遊んでいたそうです。

 また、スケートボードは移動手段でもあったそうです。安価なことから一家に一台みたいな感覚で誰でも持っていたそうです。今のようにスケートパークなどはなく、できる場所を探すことからしたり、週末の学校やアクセス許可されていない場所にフェンスを越えて忍び込んだりもしたそうです。

 そのうちに自転車を買えるようになってから、BMXにスケートボードを積んで移動をする子も増えてきたそうですが、それでもやはり移動手段はたいていスケートボードだったと語っています。

 12歳の小学6年生の時に日本に帰ってきました。コンクリートの上でスケートボードをやっていた経験から、雪国・飛騨高山のスキー場でスノーボードに転向し、だんだんのめり込んでいきました。

 大学生になると、セミプロのスノーボーダーとして多くの企業から協賛スポンサーを受け、海外に行ったり雑誌の撮影を受けるなど、選手として活動するようになります。しかし22歳の時に足首を折る大怪我をしてしまい、夢が打ち砕かれるような経験をしました。10ヶ月程度のリハビリを強いれられ、人生を捧げる情熱の対象ではないのだと痛感します。

 「これで(スノーボードは)一生はできない。終わりにしなければいけない。」と思った時、次どうしようか──と考え始めた松山智一さん。

 スノーボードはある種自分の表現方法だったことから、違う方向で自分を表現できるもとして“アート”に辿り着き、歩むことを決意。それから二年後にはニューヨークに再び渡りました。

松山智一さん
松山智一さん

 20幾つで何か表現をするとなるともう遅いんですよね。普通高校生や若い青年期くらいには志して向かっている。
 言ってしまえばスノーボードを挫折したので、始めるんだったら初めから本丸の美術の首都に飛び込んだ方がいい。いつかニューヨークに行こうと思うんだったら、今行こう。もうそれしかない。そう思い立って飛んじゃいました笑

 駆け出しの時代は、NYに行って表現しようと思っても全く食べていけなかったそうです。寝室で絵を描くしかなく、とにかくお金もなく全て切り詰めていった松山智一さん。

 タバコをやめ、とうとう美容室に行くお金もなくなり、バリカンを買ってずっと坊主にしていたといいます。絵の具を買うお金もなく、家庭用のペンキで描いたりしていたそうです。

 それでもニューヨークにはエネルギーがあるといいます。人が人を呼ぶところであり、文化の都であると。当時は治安が悪かったりもしたそうですが、毎日刺激的で、どこかセクシーな街で、しんどくても一度も離れようとは思わなかったそうです。

2019年、バワリーミューラルに描かれた松山智一作品(画像元:ARTnewsより)

 最初からNYを拠点にアーティスト活動しキャリアを積んで、23年が経過しました。世界各国で大作を公表し、国や時代を越え、人々へ向けてメッセージを発信され脚光を浴びています。その功績が巡り巡って日本でも高い評価を得て、話題を呼び、注目を集めています。

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現代美術家 松山智一の結婚(妻子)について

妻と二人三脚

 松山智一さんは結婚されています。妻は“真歩さん”というお名前で、ニューヨークで学生時代に出会った京都出身の日本人の方です。ファッションの勉強をするためにニューヨークに来ていたそうです。

 現在はスタジオで公私共に手伝ってくださっているという妻の真歩さん。美術家で活動することは生き方につながっていて、職業の作品制作は常に感情が付きまとうので、感情をどうコントロールしていくかというのは、一人ではなかなか成し得ないことと松山智一さんは語っています。

 そんな時、毎日栄養管理してくれたり、家で帰った時に話を聞いてくれたりと、妻・真歩さんの支えがあることが本当にありがたいそうで、いなくてはならない存在だというのが伝わってきます。毎日の中で少しでも自分でいられる時間を、すごくエネルギーを使って妻・真歩さんが守ってくれていると話していました。

 妻・真歩さんの実家が京都にあることから、京都の伝統文化や芸術に触れる機会を大切にしており、頻繁に訪れているようです。このような日本文化との繋がりは、松山智一さんの作品にも影響を与えていると考えられます。

 ちなみに妻・真歩さんの実家は、15代続く京都の老舗の書店とされています。歴史ある環境で育ち、日本の伝統や文化に対する深い理解を持っていることでしょう。

 また松山智一さんは、妻の実家を通じ、古典的な文様や図柄・北斎漫画などの貴重な資料に触れる機会もあると考えられます。創作活動において、インスピレーションの源となっている可能性も考えられますね♪

 松山智一さんのアーティスト活動は、到底一人ではできないと言い切っています。芸術家として一発のホームランを打つことは可能だけど、ずっとヒットを撃ち続けることはすごく大変で、持久走なのだと。いかに安泰している状態を作り続けることができるかが芸術家にとって一番大事なことであり、この先も大切なパートナーである妻・真歩さんと二人三脚で走り続けることでしょう☆彡

 朝起きて一番に作品を作りたいと言うのが芸術家の衝動。どうやって維持するかと言うことを考えながら毎日作品制作に向き合っているそうです。

子供について

 子供がいるかどうかについては公表されていません。2019年の『情熱大陸』放送時点では、夫婦二人の生活だけが紹介され、特に子供は登場しませんでした。プライバシーを尊重し、家族情報を控えている可能性もあります。

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現代美術家 松山智一の年収(収入)について

 松山智一さんの具体的な収入に関する情報は見つかりませんでした。

 ニューヨークを拠点に現代美術として活動しているので、国内外で個展や展覧会を多数開催しています。松山智一さんの収入は、絵画の売上、展示からの収入、そしてその他アーティスト活動による収入によって構成されると考えられます。しかし詳細な数値は公開されていません。

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現代美術家 松山智一についてまとめ

 今回「松山智一(現代美術家)の家族(兄弟)や生い立ちは?結婚(妻子)や年収について調査!」と題し、現代アーティスト・松山智一さんについて紹介しました。以下本記事のまとめです。

🟡松山智一さんの家族はご両親と兄の4人です。キリスト教を信仰しているご両親と、映画監督の松山博昭さんがお兄さんです。
🟡松山智一の生い立ちは、少年時代に父親の学びで3~4年渡米しました。いろんな人種のお友達と一緒にスケートボードに夢中になり、帰国後は地域がらスノーボードに転向します。、大学時代はセミプロとして活動していましたが、大怪我により断念。表現の場をアートに移し、22歳で再び渡米。アートに打ち込みキャリアを積みあげてきました。
🟡現代美術家 松山智一さんは結婚しています。妻は京都出身・実家が15代続く老舗の書店という真歩さんという方で、ニューヨークで出会いました。子供に関する情報は公表されていません。
🟡現代美術家 松山智一さんの年収(収入)に関する情報は公開されていません。

 スノーボードの挫折から自己表現の場をアートに移し、類を見ない圧倒的な作品を生み出す現代美術家 松山智一さん。異色な生い立ちや妻の支えが原動力となって今も走り続けていることと思います☆彡

 次はどんな作品で魅了されるのか──。エネルギーやメッセージ、世界観を体感できる日を楽しみにしています♪

ボテン
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最後まで読んでいただきありがとうございました(^-^)/~~~

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