眞理ヨシコと志尊淳の関係は?生い立ちから現在,家族,夫について調査【徹子の部屋】

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ボテン
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こんにちは、ボテンです。

 今回は「初代うたのおねえさん」を務め、童謡歌手として長年活動している眞理ヨシコさんについてです。86歳になった今もステージで童謡を歌い続けており、昨年は「日本童謡賞」特別賞を受賞したそうです。
 この度『徹子の部屋』に出演されるということで、60年以上のキャリアからどんなエピソードが出るのかとても楽しみです。

 眞理ヨシコさんは俳優・志尊淳さんとの関係が話題になっています。これまであまり私生活が語られていないようなので、生い立ちから現在に至るまで、家族や夫についても調べてみました。一緒に見ていきましょう!

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眞理ヨシコと志尊淳の関係は?

 眞理ヨシコさんについてインターネットで調べてみると、「志尊淳」のキーワードで多くの方が検索されているようです。志尊淳さんとどのような関係があるのかみていきたいと思います。

 志尊淳さんの祖母は初代うたのおねえさんなのだそうです。ということは眞理ヨシコさんが祖母なの!?と思いますが、初代うたのおねえさんを眞理ヨシコさんと一緒に務めていたことで知られる中野慶子さんが、志尊淳さんの祖母なのだそうです!

初代うたのおねえさんの2人(左・志尊淳さんの祖母の中野慶子さん 右・眞理ヨシコさん)

名  前 中野慶子(なかの けいこ)
本  名 宮崎慶子
生年月日 1937年12月8日・87歳(2025年3月現在)
出  身 長野県松本市
学  歴 学習院大学文学部英米文学科卒業
活  動 NHK俳優養成所卒業後、1961年から1964年までNHKの子供向け番組『うたのえほん』(後の『おかあさんといっしょ』)眞理ヨシコさんとともに初代“うたのおねえさん”として活躍

 初代うたのおねえさんという共通点があり、志尊淳さんの祖母が眞理ヨシコさんと勘違いされ、関連づいたようです。実際、眞理ヨシコさんと志尊淳さんに血縁関係はありません。

 しかしこのような誤解も、“うたのおねえさん”が60年以上引き継がれ愛されている証であり、眞理ヨシコさんと中野慶子さんが児童番組の礎を築いたからなのではないでしょうか♪☆彡

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眞理ヨシコの生い立ちから現在

番組初期の収録は、10分間カメラを回し続ける生放送スタイル(画像元:女性自身より)

プロフィール

 眞理ヨシコさんのプロフィールから見ていきましょう。

名  前 眞理ヨシコ(まり よしこ)
旧  名 真理ヨシコ
本  名 佐藤 美子
生年月日 1938年12月4日・86歳(2025年3月現在)
星座干支 いて座 ・寅年
出  身 岐阜県
学  歴 東京芸術大学音楽学部声楽科卒業
職  業 歌手
ジャンル 童謡
活  動 1961年〜

生い立ち

 1938年岐阜県で生まれた眞理ヨシコさん。誕生して間もなく親の転勤で東京都へ転居しました。共に歌が好きな両親のもとで育ったと振り返っています。

眞理ヨシコさん
眞理ヨシコさん

小さいころは父、母、弟とよく家族でハーモニーを紡いでいました。楽しかったですね。(引用元:ウェブマガジン「定年時代」より)

 永田町の小学校に通うようになると、音楽好きな教師に導かれ合唱団が編成されました。NHKに近かったことが幸いし、歌唱力が高いと見込まれた子たちはラジオの音楽番組に出演する機会を得られました。
 そこで眞理ヨシコさんは、山田耕筰夫人の声楽家・辻輝子さんら一流の音楽人たちと交流を持つようになり、音楽の魅力にどっぷりはまったそうです。

眞理ヨシコさん
眞理ヨシコさん

おのずと音楽科のある高校を経て東京藝術大学に進学しました。大学受験の滑り止めに東映ニューフェイスを受け合格したのですが、目もくれず歌の道を選びましたね(笑)(引用元:ウェブマガジン「定年時代」より)

と振り返る眞理ヨシコさん。

 高校は、東京都立駒場高等学校芸術科(後に東京都立芸術高等学校として分離独立するも閉校)出身で、在学中より東京芸術大学の講師だった酒井弘に師事。その後、深緑夏代にシャンソンの指導を受けます。

 東京芸術大学音楽学部声楽科に進学すると、在学中の2年生の時(1961年)、NHKに就職した先輩から「今度テレビ番組を作ることになった。オーディションを受けてみないか?」と声が掛かり挑戦。見事合格し、NHK歌謡番組『歌の広場』で“ニュー・ボイス”としてデビューを果たしました。

 さらに同年、また先輩から「子ども向け音楽番組のオーディションを受けてよ」と声が掛かります。
現在まで続く長寿番組『おかあさんといっしょ』の大本『うたのえほん』に22歳の眞理さんが抜てきされました☆彡

眞理ヨシコさん
眞理ヨシコさん

昔からミュージカルが好きでしたし、それと割合近しいと感じていた児童歌謡・童謡の世界は毎日充実していました。それに当時は新しい歌を覚えて練習する毎日。多忙で余計なことを考える暇はありませんでした。(引用元:ウェブマガジン「定年時代」より)

初代“うたのおねえさん”

🔵児童番組の礎築く

 今に続く児童番組の礎をつくった『うたのえほん』で、眞理ヨシコさんは視聴者の親世代からの注文も多く、大変だったがやりがいもあったと語っています。一緒に出演した子どもたちは「スポンジが水を吸い込むように童謡を楽しんでくれた」そうです♪

🔵1963 日本レコード大賞童謡賞受賞

 眞理さんが歌唱した『おもちゃのチャチャチャ』で1963年日本レコード大賞童謡賞を受賞しました。たくさんの人に童謡歌手として認知され“童謡一筋”へ腹を固めることができたと言います。1か月で4万枚のレコードを売り上げたそうです!

🔵15年以上のNHK児童番組との関わり

 “うたのおねえさん”は1年半で後輩にバトンタッチし、その後も15年以上にわたりNHKの児童番組に関わります。歌以外にも子どもたちに囲まれて、人形との掛け合いや人形劇の声優などを務めました。

眞理ヨシコさん
眞理ヨシコさん

子ども相手だと手を抜けば、子どもたちは敏感にそれを感じ取ります。一過性で消費されるものではなく、子どもたちの将来を見据えた番組作りをモットーに、スタッフたちとがんばってきました。(引用元:ウェブマガジン「定年時代」より)

🔵1983年 第13回日本童謡賞受賞

 その後、1993年には“童謡の父”といわれる本居長世の作品による『うたの旅』を全国で実施。以降も機会あるごとにステージで童謡を歌い継ぎ童謡守る活動を行ってきました。

現在 〜童謡は世代を超え絆紡ぐ〜

画像元:Instagramより

🟡2002年「眞理ヨシコさんを囲む会」を母体として生まれた“音符たち”が発足。
🟡2009年 東洋英和女学院大学人間科学部教授を退職し名誉教授となる。
🟡2018年 70代最後80歳を目前に終活を始めたことを告白し現在も行っている。

 眞理ヨシコさんは今日も童謡をはじめ様々な音楽を楽しむ会で、レクチャーコンサートや“眞理ヨシコとともに”コンサートなど、堅実な活動を行っています。童謡は自分そのものと語る眞理ヨシコさんの信念を紹介したいうと思います☆彡

♪眞理ヨシコが語る|童謡の魅力

 大人が子どもに真剣に向き合いつくられた童謡はシニアになっても胸に残り、世代を超えた絆を紡ぐ手段となっています。また、日本ほど童謡をつくり続けている国もないと思います。童謡は“世界遺産”に匹敵する、先人から贈られた素晴らしい財産です。(出典:「定年時代」令和4年3月下旬号より)

♪眞理ヨシコが語る|歌い継ぎ童謡守る

 どんなに優れた童謡でも、楽譜だけでは消えていきます。多くの人の目の前で歌い、その価値を皆さんに共有してもらうことこそ、初代“うたのおねえさん”となった自分の使命だと思っています。でもそれはとても幸せなこと。これからも自分の生涯をかけて童謡を歌っていきます。(出典:「定年時代」令和4年3月下旬号より)

♪眞理ヨシコが語る|童謡は“私そのもの”

  明治以降、童謡の歴史は100年を超える。名だたる詩人、音楽家らが次世代を担う子どもたちに童謡を贈ってきた。優れた童謡は、大の大人が自らの“子ども性”を引き出し、子ども目線で紡いだもの。長すぎず短すぎず、無駄を省いた音楽にのり、詞の“力”が胸にすっと入ってくるものです。(出典:「定年時代」令和4年3月下旬号より)

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眞理ヨシコの家族について

 生い立ち冒頭で紹介した通り、眞理ヨシコさんは岐阜県で生まれ親の転勤で東京に転居し育ちました。

家族構成は【父親】【母親】【本人】【の4人で両親は共に歌が好きな人物だった

 音楽が好きで趣味でヴァイオリンをやっていたお父さんと、歌い手になりたい、音楽学校へ行きたいと思っていたお母さんだったので、眞理ヨシコさんの進路についてはよく理解があったご両親だったそうです。夕食時もレコードをかけて音楽に親しむような家で、歌の仕事に就くことに反対はなく、とても恵まれた家庭だったと振り返っています。

 「小さいころは父、母、弟とよく家族でハーモニーを紡いでいました。」とインタビューで語られていました。

 ただ、家族の詳細については公表されていないため、ご両親および弟さんの名前や写真、職業は明らかになっていません。

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眞理ヨシコの夫について

 眞理ヨシコさんの結婚についてや夫がいるのか調べてみましたが、2025年現在までに結婚や夫に関する情報が一切確認できませんでした。眞理ヨシコさんは未婚で独身である可能性が高いと考えられます。

「声の続く限り、子どもの歌を届け続けたい」と語る眞理さん(撮影:高野広美/画像元:女性自身より)

 しかしさすが黒柳徹子さん。単刀直入に「ご結婚はなさってたんですか?」と切り出すと、「ええ^^ なさってたんですぅ」と眞理ヨシコさん! 続けて「でもやっぱりこれ以上このままの生活が続くと、私はしたいことが全然できなくなっちゃうと思った時に、やはり家を飛び出そうという決心ができたんですね・・・」と離婚の理由が語られました。

 結果として自由を手にしたと感じているそうです。食生活については、好きなものを好きな時に食べ、必ず少しのお酒を飲むという眞理ヨシコさん。ワインも好き、日本酒も好きとのことです。

 長年にわたり歌手としてたくさんの子どもたちや家族に寄り添ってきた眞理ヨシコさん。私生活に時間はなく、音楽活動優先“音楽一筋”の人生を貫いてきた印象があります。
 私生活はあまり語られていませんが、結婚離婚を経験し、自分の道をしっかり歩む姿はより輝いて見えました☆彡

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眞理ヨシコについてまとめ

 今回「眞理ヨシコと志尊淳の関係は?生い立ちから現在,家族,夫について調査【徹子の部屋】」と題し、眞理ヨシコさんにつて紹介しました。以下本記事のまとめです。

🟡眞理ヨシコさんと一緒に初代うたのおねえさんを務めていた中野慶子さんが志尊淳さんの祖母で、関連づけられているようです。眞理ヨシコさんと志尊淳さんには血縁関係などありません。
🟡眞理ヨシコさんは小学の頃合唱団が編成され音楽の魅力にハマりました。東京芸術大学音楽学部声楽科在学中にNHK歌謡番組『歌の広場』でデビュー。『うたのえほん』に抜てきされました。“童謡は私そのもの”と現在も童謡を歌い継いでいます。
🟡眞理ヨシコさんはご両親と弟の4人家族で、歌や音楽が豊かで理解ある家庭で育ちました。
🟡眞理ヨシコさんは結婚し離婚しています。夫に関する情報は一切確認できませんでした。

 1961年にNHKオーディションに合格し、初代うたのおねえさんとして活躍した眞理ヨシコさん。86歳の現在もコンサートや講演で童謡を歌い継ぐ姿は本当に素晴らしく素敵な人生ですね☆彡 これからも多くの人たちに笑顔と感動が届けられることでしょう♪ 

ボテン
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最後まで読んでいただきありがとうございました(^-^)/~~~

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