こんにちは、ボテンです。
今回は実業家で元女優・元モデルの君島十和子さんについてです。テレビ番組『ザ・共通テン! 』に出演されるということですが、「なぜか老けない各界の“美のカリスマ”」4名のうちの一人として、君島十和子さんが登場します。ちなみにもう3名は、アンミカさん、イ・ボミさん、鳥居みゆきさんです☆彡
現在実業家でありながらメディア登場はちょこちょこある君島十和子さん。58歳でこの美しさは奇跡的で驚き!とたいへん興味深いものです。元女優・元モデルという経歴を持つ君島十和子さん。一体どのような人生を歩まれてきたのでしょう? 気になる実家や学歴経歴、年収から君島十和子さんの歩みを見ていきたいと思います☆彡
君島十和子の実家は?
先日、君島家の生搾り朝汁をご愛用いただいているお客様と朝汁座談会を行いました💚
— 君島十和子/FTCBEAUTY OFFICIAL (@FTC_beauty) October 24, 2024
その模様は12月の会報誌に掲載予定ですので楽しみにお待ちくださいね〜😊 pic.twitter.com/Z9XWywx1Lt
君島十和子さんは東京都豊島区出身です。ご実家について調べましたが、公表していないため、場所や情報などの特定には至りませんでした。
君島十和子さんは都内にある日本女子大学附属の豊明幼稚園・小学校・中学校・高校に在籍していたこと、お父さんが会社経営者ということから、社長令嬢として裕福な家庭に育ちました。子供の頃はパパっ子だったそうで、幼稚園の先生にお父さんを「かっこいいでしょ?」と自慢していたことを明かしています。
君島十和子さんは本名で活動してきました。旧姓は「吉川」で、モデルや女優時代は“吉川十和子”名義で活動していたことから、ご実家は“吉川家”であると思います。
1966年5月30日に誕生した君島十和子さん。宝塚歌劇団のファンで、キラキラしたものが大好きという、ごく普通ののんびりとした子だったそうです。
プロフィール
名 前 君島十和子(きみじま とわこ)
旧 姓 吉川十和子
生年月日 1966年(昭和41年)5月30日・58歳(2025年1月現在)
出 身 東京都豊島区
SNS YouTube登録者数6.78万人、Instagramフォロワー16.8万人
君島十和子の学歴
【小学時代】日本女子大学附属豊明小学校
君島十和子さんは、私立の日本女子大学附属豊明小学校出身です。お受験で日本女子大学附属幼稚園に入園して以降、高校まで内部進学・エスカレーター式で進みました。
子供の頃は食品添加物が健康にもたらす悪影響が話題となっていたため、お母さんは市販のお菓子は購入せず、化粧をすることもなかったそうです。君島十和子さんは「物心ついた時から母がメークをしている姿を見たことがなかったんですよ。」と語っています。
しかし小学校高学年の時に母親が頂き物の口紅を付けていることがあり、この時に女性は口紅一つでこんなにも変わるのかと非常に驚いたそうです。
また同じ頃、宝塚歌劇団の「ベルサイユのばら」に胸を焦がし、この舞台に立ちたいと思うようになります。以前インタビューで次のように話していました。
「子どもの頃から様式美が好きなんです。私の根底には、決まった形式の中の表現に共鳴するなにかがあります。」
宝塚音楽学校への受験はもう間に合わないとお母さんから言われましたが、諦めきれなかったため教室に電話をしてみると、一度見学に来るように言われます。しかし引っ込み思案だった君島十和子さんは、教室に行くことはできなかったそうです。
【中学時代】日本女子大学附属中学校 偏差値55(中の上)
君島十和子さんは、日本女子大学附属中学校出身です。中学時代に本名『吉川十和子』名義で、ファッション誌「mc Sister」でフリーのファッションモデルとしてデビューしました。
中学生になると化粧品にすごく興味を持つようになります。雑誌の付録のメイクページを熱心に読み、お小遣いでアイシャドウを購入して塗ったりしていたそうです。
【高校時代】日本女子大学附属高校 偏差値65(難関)
君島十和子さんは、日本女子大学附属高校出身です。高校では弦楽部に在籍し、チェロを担当していました。フジテレビのプロデューサー・塩田千尋さんとは、中学・高校時代の同級生でたいへん仲が良かったそうです。
君島十和子さんは高校入学後、読者モデルとして活動を開始。ヘアメイクにおすすめのコスメやアイテムを教えてもらっていました。「美容と向き合うキッカケはその頃に芽生えていますね」と当時を振り返っています。
高校3年生の夏休みには、自動車運転免許所を取得したそうです。また同年(1984年)にJALの1985年のキャンペーンガールに選出されて、このことがきっかけで芸能事務所にスカウトをされました。
大学進学も考えましたが、最終的にはご両親の反対を押し切って芸能界入りを決断。
「ずっと憧れていた宝塚歌劇団を受験する勇気が持てなかったことを心の奥で悔いていたんです。そこにチャンスが訪れて。やらない後悔より、チャレンジする後悔を選びたいなと。」
小学時代に宝塚歌劇団を受験しなかった後悔を断ち切るように、芸能界の道に進むことを決めました。
君島十和子の経歴
君島十和子さんの略歴をみてみましょう。
🟡日本女子大学付属高等学校 卒業
🟡1985年 JAL沖縄キャンペーンガールに選出
🟡1986年 JJ専属モデル
🟡1988年 NHKドラマ「新橋烏森口青春篇」にて女優デビュー
🟡1995年 君島明(現:君島誉幸)と結婚、芸能界引退
🟡1997年 長女出産
🟡2001年 次女出産
🟡2005年 スキンケアブランド「FTC(FELICE TOWAKO COSME)」設立
🟡2022年 FTCクリエイティブ・ディレクターを担当
モデル・女優デビュー
旧姓・吉川十和子さんは、中学生の時にモデル活動を開始しました。高校生になると雑誌の専属モデルを務めます。高3の時に“1985年JALの沖縄キャンペーンガール”に抜擢され、当時ブームだった健康的な小麦肌で話題となりました。
1988年(22歳)にNHK小説で女優デビューを果たし、「極道の妻たち」「ゴジラ」「銭形平次」「十津川警部」「金田一耕助」など、数々の名作に出演。人気女優となりました。
芸能界で人気活躍中に御曹司とスピード婚
順風満帆に芸能活動をしていた旧姓・吉川十和子さんですが、1995年29歳の時に、突如として結婚と芸能界引退に踏み切ります。お相手はパリの社交界や日本の皇族御用達のファッションブランド“KIMIJIMA”の御曹司である君島明(現:君島誉幸)さんです。
29歳の十和子さんのお誕生日に初デートをすると、翌月には明さんの方からプロポーズ!初デートからたった1ヶ月でのスピード婚となりました♡
女優として活躍中の十和子さんと、日本を代表するファッションブランドの御曹司・明さんとのスピード婚に、結婚記者会見はたいへん注目を集めたそうです。
スキャンダルで1年後に経営ブランド全壊
しかし「あっ!!」と言わせるスキャンダルが、会見の2日後に発覚します。一つは、明さんが父であり創業者でもある君島一郎さんの愛人の息子であったこと。もう一つは、明さん自身にも愛人との子供がいたことです。
明さん自身に十和子さん以外の女性との子供がいたことは、婚約以前に打ち明けられていて、承諾しており大きな事態にはなりませんでした。しかし、明さんが父・君島一郎氏の愛人の子である方は、家族関係が泥沼化する大きな火種となってしまいました。
KIMIJIMAのブランドイメージが悪化し次々に店舗閉鎖に追い込まれていきます。さらに、スキャンダル発覚の翌年1996年には心筋梗塞から父(創業者)君島一郎氏が急逝。事態はますます悪化の一途を辿ります。
結果、事業に係わるマイナスの資産はすべて君島明さんが背負うことになり、総額40億円の負債を抱えることになりました。
コスメブランドで逆転劇!
本日、#君島十和子 さん(@FTC_beauty )にご来店いただき、店頭にて『#アラ還十和子』のサイン本を作成いただきました!
— 梅田 蔦屋書店 (@umetsuta) July 23, 2023
なんと❕#当店限定 でサインの横にハートが付いております🫶✨
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スキャンダル翌年から銀行への返済遅延、本社ビル差し押さえ、従業員からの訴訟などでKIMIJIMAブランドは崩壊しました。2000年代にはすべての店舗が閉店し、負債だけが残ります。
君島十和子さんは2005年に、元皮膚科医でもある夫・君島明改め君島誉幸(たかゆき)さんとコスメブランド「FTC」を立ち上げました。自身の肌トラブルの経験から君島十和子さんが製造から販売まですべての工程に携わるスタイルでこだわりの独自コスメを作り上げます。
すると第一弾の商品として発売した紫外線予防と肌ケアを融合した「UVパーフェクトクリーム」が大ヒット。その後も君島十和子さん自ら商品の広告塔としてメディア露出を増やすなどし、ファンを集め、TVショッピングでの宣伝や会員制度を導入するなど顧客を全国に広げていき、10年後の2014年には年商14億円の企業にまで成長させました。その頃には君島誉幸さんが父・君島一郎氏より相続した40億円の負債は完済していたようです。
さらに2015年からはネット販売にも力をいれ、2019年に発売した定期購入商品の「ラメラゲルスーパーモイスチャー」が大ヒットし、新規顧客獲得数が以前の3倍にまで膨れ上がり、業績も一気に鰻登りに上昇していきました。
FTCの代表は夫である君島誉幸さんが務めています。元皮膚科医であり皮膚のプロフェッショナルが十和子さんと二人三脚で商品開発に取り組み、世の中が求める価値ある化粧品づくりができていることが業績に直結したと考えられます。
君島十和子さんが手掛ける化粧品。使い心地や効果の良さを実感できている人が多く評判が良いようです。
このように40億の負債から大逆転を遂げた君島十和子さん夫妻。最近では、YouTubeやInstagramなどのSNS発信にも積極的に取り組まれており、50歳以降、年齢を感じさせない圧巻の美貌が以前に増して注目が集まっているようです。
君島十和子の年収
君島十和子さんの年収については公表されていません。推定憶測の記事は出ていますが信憑性が低く参考にならないのと、年々成長している企業なので年商も拡大しており、実際のところ直近1年でどれくらいなのかわかりませんでした。
規模と変化をつかめる情報としては、2014年の時点で株式会社FTCの年商が14億円になったということなので、夫が登記上社長で経営者でもある君島十和子さんは、売上の10%を収入として受け取っていたとすると、当時すでに年収1億円を超えていたのではないかと思われます。
2019年にはマーケティング会社のコンサルティングを導入してECにも力を入れており、新規獲得3倍・LTV4倍という実績を出し、さらにビジネスを成長させてきました。
化粧品から始まったラインナップはシャンプーやアンチエイジング商品にも広がり、都内にコールセンターを構え、2023年の情報ではECと合わせて年間約18億円を売り上げたということです。つまり2022年の年商が18億円を突破したことになります。
ちなみにお住まいは代々木にある「グロブナープレイス神園町」という日本三大高級マンションに数えられる場所にご自宅があるようです。広さは180㎡~300㎡で家賃は200万円~300万円と言われています。こちらは表参道の本社から徒歩10分圏内なのだそうです。
君島十和子についてまとめ
君島十和子さんの実家は東京都豊島区にある、旧姓から“吉川家”とされています。お父さんが会社経営者ということから、社長令嬢として裕福な家庭に育ったそうです。
君島十和子さんの最終学歴は高校です。日本女子大学附属の幼稚園をお受験し、その後は内部進学で高校まで進みました。
君島十和子さんの経歴は、中学生からモデル、19歳で女優として活躍され、29歳で結婚を機に引退。2005年にスキンケアブランド「FTC(FELICE TOWAKO COSME)」を設立。2022年よりFTCのクリエイティブ・ディレクターを担当しています。
君島十和子さんの年収情報は見つかりませんでした。会社の年商は、2022年で18億円を突破。お住まいは日本三大高級マンションの「グロブナープレイス神園町」です。
今回、実業家・君島十和子さんの実家や学歴経歴、年収について紹介しました。セレブ令嬢で育ちながら、結婚直後のスキャンダルで40億の負債。のみ込まれるような苦悩を抱えながら、夫とビジネスで成功させたという美のカリスマでした☆ “美容は何歳からでも遅くない!”と、これからも前線で走り続けることでしょう♪ 秘訣・ 今後のご活躍ともに楽しみにしていま〜す☆彡
最後まで読んでいただきありがとうございました(^-^)/~~~
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