
こんにちは、ボテンです。
今回は音楽家で実業家の岡平健治さんについてです。
岡平健治さんといえば、高校時代に出会った岩瀬敬吾さんとイラストライターの326さんで結成された『19(ジューク)』。「あの紙ヒコーキくもり空わって」が大ヒットし、収録アルバムが売上枚数100万枚を記録したりNHK紅白歌合戦に出場するなど、華々しい活躍をされました。
そんな岡平健治さんですが、現在音楽活動は趣味として続ける中、実業家として複数さまざまな分野を経営されているということで、仕事収入についてや、19(昔)時代と相方(岩瀬敬吾さん)について、ネット上で多くの方が検索されている「父親」「結婚」について調べてみました。一緒に見ていきましょう!

岡平健治の仕事収入は?
仕事職業について
今年2025年6月に、吉本興業と専属エージェント契約を締結したことが発表され、芸名を平仮名の「けんじ」に改名し、音楽活動のみならず、タレントとして様々な分野で活動していくことが報じられました。
現在は音楽活動は趣味とし、自分の音楽を自身のYouTubeチャンネル「Mutuber KENJI CHANNEL」で公開しているほか、不動産オーナー、スタジオ経営、音楽出版、ライブハウス経営、飲食店経営、中古車売買修理経営、アパレル経営などを行なっているそうです。
収入がすごい!
8年前の2017年9月、フジテレビ系「バイキング」のインタビューに応じた岡平健治さんは、ビル5棟を所有し、年収4億円の実業家となっていることを告白しました。
19は「あの紙ヒコーキくもり空わって」で大人気デュオとななりましたが、人気絶頂の当時の給料はわずか10万円だったそうです。

「契約がそうなってた。歩合制にするか固定給にするか。ぼく売れると思ってなかった。自分に才能があると全然思ってなくて10万を選んだ」
その当時に住んでいたのは家賃1万3000円、風呂なしトイレ共同という物件で、極貧生活を送っていた岡平健治さん。

「僕の部屋を見たら、みんな引くんだろうなと思っていた」
しかしその後、固定給+歩合にしてもらったことで「0・5億円入ってきた」と、経済的苦境は脱したという岡平健治さんですが、急に5000万円もの大金が舞い込んだわけですから衝撃的です!!!
19は2002年に音楽性の違いで解散しました。契約が残った中での解散だったことから、事務所からは「ン十億円」というペナルティ金額を求められたといいます。これは「19が1年間活動して稼ぐであろう金額」だったといいます。
最後のベストアルバムの初動の印税放棄と、岡平健治さんが所属するバンド “3B LAB.☆” の楽曲19カ月間の数%の印税を支払って返済したそうです。
岡平健治さんは現在、音楽活動もしながら、ライブハウス、バー、レストラン、不動産なども経営、ビル5棟を持つ実業家となり、年収について「広島カープのクリーンアップを合わせたぐらい」と、4億円近く稼いでいることも明かしていました。
profile
名 前 岡平健治(おかひらけんじ)
生年月日 1979年3月28日・46歳(2025年12月現在)
出 身 広島県呉市(出生地は長崎県)
最終学歴 広島県立呉工業高等学校
血 液 B型
岡平健治の19(昔)と相方について
19(昔)時代
小学生の頃から作詞・作曲活動をしていたという岡平健治さん。ギターを始めたのは高校時代。友人から譲り受けた古いギターをいじったのがきっかけで音楽に興味を持ったそうです。
高校時代には呉の駅前等で路上ライブの活動を行っていました。
1996年、高3の夏にティーンズミュージックフェスティバルで出会った岩瀬敬吾さんと“少年フレンド” を結成し、上京を反対した父を納得させるために岩瀬さんが作曲した歌「つまさき」を聞かせ納得させ、1998年に上京してから本格的に音楽活動を開始します。
それぞれアコースティック・ギターを持ち、高円寺や下北沢でライブハウスやストリートで熱唱していました。
都内のライブハウスやストリートで活動している時に出会ったのがイラストレーターの326(みつる)さん。
意気投合した3人は1998年11月に『19(じゅーく)』を結成。
翌年にリリースした「あの紙ヒコーキ くもり空わって」が大ヒットし、同曲を収録したアルバムの売り上げが100万枚を記録。紅白の出場を果たしました。
その後もリリースした「水・陸・そら、無限大」がシドニーオリンピック日本代表選手団公式応援ソングになるなど順調に活動を続けていました。


2001年、岡平健治さんはロックバンド『3B LAB.☆(すりーびーらぼ)』を結成しボーカルとギターを担当。19と並行してライブ活動を始めます。
しかし音楽性の違いから、2002年2月に19は解散しました。
音楽性の違いと見た目の違いがイコールだったのかはわかりませんが、歌い方もビジュアルも雰囲気も、あからさまに岡平健治さんと岩瀬敬吾さんとでは違いましたね。
個性の違う2人が一つの楽曲を奏でるのが19のオリジナリティであり、トレンドとして社会も受け入れていただけに、人気絶頂の中の突然の解散に衝撃を受けました。
相方・岩瀬敬吾のその後


19解散後、岩瀬敬吾さんはフォーライフミュージックエンタテイメントからソロ・デビューしました。19時代から定評のあるメロディセンス、詞の世界を引き継いで、新しいサウンドに取り組みました。
2012年に広島県呉市の「呉観光特使」に任命されます。
2020年から、YouTubeや17Liveといった配信活動を精力的に開始。19時代の本人による楽曲も披露しています。
19解散以降、実に15年近くに渡り当時の楽曲を披露することはありませんでしたが、当時のプロデューサーであり恩師の逝去を機に「気持ちに変化が生まれた」と述べています。
しかし一人で19時代の楽曲を歌うことに関しては難色を示す一方「岡平と二人で歌うことに意味がある」趣旨の説明がありました。
近年はバンドスタイルのワンマンライブ、「Norsu Trio」のライブ活動なども精力的に行いながら、楽曲制作も並行して行っているそうです。

ちなみにプライベートでは、岩瀬敬吾さんはすでに結婚されており子供が3人いらっしゃるそうです。
岡平健治の父親
ネット上では、岡平健治さんについて多くの方が「父親」で検索されているようです。どう紐づいているのか調べてみました。
すると、2022年秋にガン宣告された父親が肺炎を併発し亡くなってしまったことが「悔しくて悔しくて」という記事が関連していました。岡平健治さんが2023年5月5日子どもの日に、自身のInstagramで次のように父親の死去を報告しています。
「父は、昨年秋にガンと診断され治療を受けつつ入退院を繰り返してました。今年の4月には肺炎を併発し体力は急速に低下して行きました。当日も家族の呼びかけに反応していましたが、その後容体が変化し心拍数が徐々に少なくなり、4月24日21時6分に父が永眠しました」
「全身転移の痛みから解放された安堵と本当にこの世からいなくなった父を見て今だに信じられない。父さんみたいな善良なる人が何故死ぬのか。。。それが悔しくて悔しくてね。何なら俺が代わりにとまで思いました」
「父から沢山の事を学びました。スポーツや音楽、車やバイク、動物や植物を愛する心。そして僕に遺してくれた遺言。生涯忘れる事はないでしょう」
「岡平健治を母と共にこの世に存在させてくれて1979年という年に生んでくれて、18歳まで育ててくれてありがとう」
「父の追悼式典では、母が生まれ変わっても父と逢いたいとスピーチをしてました。映画のような真の純愛が目の前にリアルに僕の近くに存在してました」
「父の追悼式典に御参列して頂いた250名の皆様、運営してくださった17名のあたたかいスタッフの皆様誠に有難う御座いました」


岡平健治さんにとって最愛の父親が、闘病生活の末72歳で亡くなってしまいました。こんなにも妻や子に愛された岡平健治さんのお父様は、生前家庭を大切にされ、自らも幸せに過ごされていたことでしょう。深い悲しみに暮れた様子が目に浮かびます。
岡平健治の結婚関連
結婚してる?
2025年12月現在46歳の岡平さん。前述の通り、元19メンバーの相方・岩瀬敬吾さんはすでに3児の父ということですが、岡平健治さんの結婚に関する情報や発表は一切無く、既婚・未婚の確証を掴むことはできませんでした。
音楽活動を続けながら、実業家としても多方面で活躍されている岡平健治さん。彼女の噂も浮上せず「上手く隠しているのではないか?」という声が見受けられますが、父親とのお別れのように感情をありのままSNSで綴れる方なので、個人的には、幸せや喜びも節目が来れば報告されるのではないかと思います☆彡
岡平健治についてまとめ
今回「岡平健治の仕事収入は?19(昔)と相方や父親結婚について調査!」と題し、岡平健治さんについて紹介しました。以下本記事のまとめです。
(準備中)
🟡岡平健治の仕事収入は?
🟡岡平健治の19(昔)と相方について
🟡岡平健治の父親
🟡岡平健治の結婚関連

最後まで読んでいただきありがとうございました(^-^)/~~~

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