
こんにちは、ボテンです。
今回はお笑いコンビ『ロッチ』のコカドケンタロウさんについてです。最近SNSで裁縫が話題になっていて、センスもクオリティーも高いと注目を集め「コカドとミシン」という本も出版されました。手作りパンツが職人レベル!と本日も賑わっているほどの腕前です。
コカドケンタロウさんがロッチで『徹子の部屋』に出演されるということで番組告知を見ると、「~波瀾万丈…結成20年の大人気コンビ!~」とあり、どのような人生を送ってきたのか気になります。
そこで、コカドケンタロウさんの家族(家出父親、母親、姉)や生い立ち(本名、実家)、学歴について調べてみました。ぜひ一緒に見ていきましょう!
コカドケンタロウは家出父親で(母親姉)3人家族!
コカドケンタロウさんは1978年8月8日に、ご両親とお姉さんの小門家に誕生し4人家族となりました。父親は会社員、母親は手話の先生で母親が40歳の時に誕生しました。
しかし、コカドケンタロウさんが小学2年か3年の時に「お父さん、お風呂屋さん行ってくる」と言って出かけたまま帰ってこなかったのだそうです。
父親が失踪してから、母親と姉の3人で暮らしてきたコカドケンタロウさん。母子家庭となり、裕福な暮らしではなく、大変だったと言います。
母親の小門英子(こかど ひでこ)さん、お姉さんは2歳年上
母・小門英子さんとの関係は大変良好で、一般の方ではありますが、メディアに出演したことがあり名前が明かされています。お姉さんは2歳年上ということですが母親同様一般の方で、名前や顔、仕事など一切公表されておりません。
コカドケンタロウの生い立ち(本名実家)

生い立ちについて
母・小門英子さんは、父親がいなくなってから手話の講師として働き、女手一つ、お姉さんとコカドケンタロウさんを育ててこられたそうです。
コカドケンタロウさんは中学生の頃、お笑いや古着が好きだったので、将来はどちらかに関わる仕事に就きたいと考えていたそうです。
そんなコカドケンタロウさんの中学生時代はモテていたそうで、「それだけモテるなら芸人になれる!」と母親に言われてお笑い芸人になることを決意したと話しています☆彡
小学2,3年生の頃に父親が蒸発してしまったコカドケンタロウさんをお母さんとお姉さんはとても可愛がってくれたそうです。お姉さんはバイトしたお金でファミコンを買ってくれたこともあったそうです。
3人で支え合ってきたからこそ、家族の絆は深いようです。大人になって本当にお笑い芸人になったコカドケンタロウさんは、現在も毎月母親に仕送りを続けていると言います。とても親孝行で素敵なエピソードですね^^

2005年にNSCの2期後輩・中岡創一さんと結成したお笑いコンビ『ロッチ』。2008年のキングオブコントでは2回戦敗退でしたが、2009年は6位、2010年は7位になり、2年連続で決勝に進出しました。
2015年には5年ぶり3度目となる決勝進出を果たし、ファーストステージの「試着室」で同年の大会の最高得点を叩き出しましたが、ファイナルステージでの「ボクサー」がまさかの低得点で結果3位となりました。
本名について
コカドケンタロウさんの本名は、小門建太郎です。読み方は同じです。
プロフィールから見てみましょう。
名 前 コカド ケンタロウ
生年月日 1978年8月8日・46歳(2025年3月現在)
出 身 大阪府大阪市
職 業 お笑い芸人、お笑いコンビ『ロッチ』のツッコミ・ネタ作り担当
相 方 中岡創一
所 属 ワタナベエンターテインメント・大阪NSC14期生(14期生)
実家について
コカドケンタロウさんは大阪府大阪市出身で、小学校から高校まで大阪市内の学校に通っていたことから、実家は大阪市内にあったと考えられます。
しかし実家についての詳細は公表されていません。何か情報が分かり次第追記したいと思います。
コカドケンタロウの学歴
小学時代1985年〜
コカドケンタロウさんの出身小学校は 大阪市立粉浜小学校
コカドケンタロウさんが在籍していた大阪市立粉浜小学校は、元アイドルの河合奈保子さんの出身校でもあります。小学時代は野球チームに所属し、剣道も習っていました。
8歳の時に父親が蒸発してからは2歳年上のお姉さんと共に母子家庭で育ちます。生活は貧しく食事はお茶漬けばかりで、服はお姉さんのお下がりだったと語っています。
中学時代1991年〜
コカドケンタロウさんの出身中学校は 大阪市立住吉第一中学校
コカドケンタロウさんが在籍していた大阪市立住吉第一中学校は、元アイドルの河奈保子さんや3時のヒロインの福田麻貴さんの出身校でもあります。
中学時代に母親から吉本興業の養成所ができたこと聞き、中学卒業後NSCに入学しました。当時から友人とお笑いコンビを組んで、コントなどを披露しています。

中学時代からモテていたコカドさんは、3年生の時に彼女と初デートで映画「ジェラシックパーク」を見に行ったそうです。
高校時代1994年〜
コカドケンタロウさんの出身高校は 大阪府立東住吉高校 芸能文化科(偏差値53~60)
コカドケンタロウさんが在籍していた大阪府立東住吉高校は、男女共学の学校で、普通科と芸能文化科を設置しています。
芸能文化科は、日本の芸能について歴史や理論・実践などを深く学ぶことを目的としてしていて、歌舞伎・文楽・能・落語・箏曲、放送・演劇・舞台技術・芸能史など、芸能に関する各分野の専門科目が開講されてい流そうです。
お笑い芸人の宇都宮まきさん、俳優で双子の三倉茉奈さん・三倉佳奈さんなどの出身校でもあります。
1994年10月・高校1年生の時に大阪NSC14期生で入学
高校1年生で大阪NSCに入学したコカドケンタロウさん。同期にはフットボールアワーがいました。フットボールアワーの後藤さんは当時20歳。4歳年上で「怖くて仕方なかった」と話しています。
高校に通いながら、部活のような感じでNSCへ通い、高校2年生の時にNSCを卒業しました。
大学進学せずお笑いの道へ1997年〜
コカドケンタロウさんは大学に進学していません。大阪NSC卒業後は『市川塾』というコンビで吉本興業に所属し活動していましたが1998年に解散しています。

解散後は、吉良博之さん(元レトロマニア)・高山和也さん(元デモしかし)とトリオ『サタディサンディ』を結成し活動していました。2000年にはコンビ名を『ジャムパン』と改名し、吉本興業からプロダクション人力舎へ移籍します。
さらに『ギャルソンズ』と改名してワタナベエンターテインメントへ移籍しましたが、2001年に高山和也さんが脱退しコンビで活動を続けるも、相方が蒸発したため2003年に解散となりました。
NSCの2期後輩で仲が良かった中岡創一さん(現在相方)に「相方どっかいってんけど知らん?」と連絡すると、プロポーズして振られた直後だったようで「それどころじゃないねん」と言われたそうです。2人は「傷心旅行」として沖縄県に3泊4日の旅に行きました。すると思わぬことにコンビ結成のきっかけが生まれました!

その時の3泊4日がめちゃくちゃ楽しくて。こんな日が続けばいいのにと思って、コンビ組んだんです

2005年に中岡創一さんとコンビ『ロッチ』を結成
ボケとツッコミはネタによって変わるスタイルで、ネタ作りはコカドケンタロウさんが担当しています。

コンビ名の由来は2005年に優勝した千葉ロッテマリーンズから来ており、少しもじって『ロッチ』となったそうです☆
コカドケンタロウについてまとめ
今回「コカドケンタロウは家出父親で(母親姉)3人家族!生い立ち(本名実家)や学歴について調査【徹子の部屋】」と題し、コカドケンタロウさんにつて紹介しました。以下本記事のまとめです。
🟡コカドケンタロウさんは、小学2,3年生の時父親が失踪し、母親の小門英子さんにより2歳年上のお姉さんと3人家族・母子家庭で育ちました。
🟡コカドケンタロウさんの生い立ちから、母・姉にたいへん可愛がられ育ち、家族想いであることがわかりました。中学生でお笑い芸人を志し、母親に背中を押され進んでこられました。
🟡コカドケンタロウさんの最終学歴は大阪府立東住吉高校 芸能文化科です。在学中に大阪NSCに14期生で入学し、卒業しました。その後は吉本興業⇨プロダクション人力舎⇨ワタナベエンターテインメントと移籍し、2005年に『ロッチ』を結成して現在に至ります。
「波瀾万丈…結成20年の大人気コンビ!」というロッチ・コカドケンタロウさんの幼少期から芸人になるまでの生い立ちを知り、家族と支え合いながら真っ直ぐ進んでこられた人生。とてもあたたかく優しい気持ちになりますね^^♪ これからのご活躍も楽しみにしています☆彡

最後まで読んでいただきありがとうございました(^-^)/~~~
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