青木さやかの生い立ちや毒親母とは?ガンや病気は?娘の学校も調査【ボクらの時代】

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ボテン
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こんにちは、ボテンです。

 今回はお笑いタレント、女優、司会者、フリーアナウンサーと幅広く活動する青木さやかさんについてです。テレビトーク番組『ボクらの時代』に野沢直子さんと清水ミチコさんのお三方で出演されるということで、胸が高鳴る方も多いのではないでしょうか☆彡

 「どこ見てんのよ!」のネタでブレイクし、タレントとして活躍する青木さやかさん。近年は演技や文筆活動でも才能を発揮し、自身の人生を飾らずに綴ったエッセイが多くの読者の共感を呼んでいます。

 そんな青木さやかさんの気になる生い立ちや人生に影響を与えた“毒親”という母について、ガンや病気のこと、さらに娘の学校についても調べてみました。一緒に見ていきましょう!

画像元:Instagramより
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青木さやかの生い立ちや毒親母とは?

 はじめに青木さやかさんのプロフィールを見てみましょう。

名  前 青木 さやか(あおき さやか)
生年月日 1973年3月27日・52歳(2025年11月現在)
職  業 お笑いタレント、女優、司会者、フリーアナウンサー
所  属 ワタナベエンターテインメント
出  身 愛知県尾張旭市
血液身長 O型 165cm
最終学歴 名古屋学院大学外国語学部中国語学科

幼少期の青木さやかさん(画像元:Instagramより)

青木さやかの生い立ち

青木さやかさんは、両親とも小学校教師という家庭環境で育ちました。

 ご両親の仕事はすごく大変だったんだと、大人になってから思ったそうです。子供の頃、平日に家族で食卓を囲むことはほとんどなく、夕飯は近くに住む母方の祖母が作ってくれるという生活だったそうです。

 週末は外食が多く、両親から「どこがいい?」と聞かれると、決まって答えたのが「ステーキのあさくま」だったそうです。誕生日には必ず連れて行ってもらったそうです。

 ご両親と弟の4人家族でしたが、高校時代に両親が離婚したのをきっかけに、母親に対するわだかまりを抱えるようになったそうです。

 大学在学中は「放送文化研究会」に所属していたこともあり、就職活動ではアナウンサー試験を多数受けるも、全て不採用でした。卒業後は名古屋タレントビューローに所属し、イベントの司会や岐阜放送で仕事をしました。

 その後、中京ローカルのフリーアナウンサーとして活動し、中京テレビの『めざせ!総・楽・天』に出演。この時はお笑い志望ではありませんでしたが、番組内で「面白いタレントになりたい」という自己PRをお笑い志望として紹介されたことがきっかけで、お笑いに転身。1996年にデビューを果たしました。

毒親の母とは

 青木さやかさんのお母さんはいい大学を主席で卒業後、女性は“3年で寿退社”が当たり前だった時代に小学校の教師になり、校長まで務めた方でした。同じ教育大学に通っていたお父さんと若くして結婚し、20代半ばで青木さやかさんを産んだのだそうです。

 お母さんは厳しい方で、ほめてもらった記憶がないといいます。テストで90点を取っても「何であと10点取れなかったの?」と言い、ピアノの練習を頑張って『エリーゼのために』を発表会で弾かせてもらえることになっても、お母さんから返ってきたのは「エリーゼのためには去年、もう◯◯ちゃんは弾けてたね」という言葉だったそうです。

 世間体をとても気にし、自分自身や家族が「どう見られるか」がとても大事だったように思えたそうです。「大学は出た方がいい」とか「離婚した人はかわいそう」というようなこともよく言っていたそうです。

 キレイで頭が良く、教師としていろいろな人から慕われていたお母さんは、子ども時代の青木さやかさんにとって絶対的な存在でした。お母さんの価値基準が正しいと思い込んでいたので、みんなにほめてもらえるような「青木先生のお嬢さん」でいなければと何でも頑張ったそうです。

 しかし高校生の時に両親が離婚し、お母さんへの思いが180度変わってしまいました。「今まで私に教えてきたことは何だったんだ」「離婚の原因は母にある」と、お母さんが母でないように見えたといいます。

 母ではなく教師、女に見えた。

 思春期の青木さやかさんにとって生理的に受け入れがたく、ほとんど口をきかなくなりました。ご両親の離婚後、弟と母の3人で暮らしますが、お母さんに話しかけるのはお金が必要な時や、書類にサインをしてもらう時くらいだったそうです。

笑いの世界を目指し26歳で上京30代を前にブレイクし、誰もが知る存在に

 娘が芸人になることは、お母さんにとって嫌なことだったと思うからこそ「お笑いの世界で成功してやる」みたいな気持ちもあったそうです。しかし売れてお金は入ってきたけれど、さみしさは変わらず、結局自分のことが嫌いなために自分を認める人が信用できなかったと語っています。

知らない人が自分を知っているということが怖くて、評価をされるほど人から逃げたくなった。

 一方お母さんは「そろそろ地元に帰って公務員の人とお見合いしたらどうですか」という手紙が送られてくるくらいノーダメージだったそうで、芸人として売れることでダメージを受けたのは、お母さんではなく青木さやかさん自身でだったようです。

 きわめつけは、娘が生まれて1週間後のこと。お母さんが東京の青木さやかさんの家に初めて訪れ、生まれたばかりの娘を抱いた瞬間、「私の大事なものに触らないで」という強い感情が湧いてきました

 お母さんとの関係について、子どもができたら親に感謝できるかもしれないと期待していただけに、「これはもうどうしようもない」ということがはっきりした感じもあって、やり切れない思いだったと語っています。

 お母さんは2019年8月にホスピスに入りました。親子関係もいよいよ切迫詰まっていた時に、動物愛護活動を一緒にしている仲間のひとりに「青木さん、親孝行は道理なんだ。親を大事にすれば、自分が楽になれるよ」と言われたそうです。

「やらなかったから、できなかった。やればいい」その言葉を聞いて初めて、できる気がしました。

 それからの青木さやかさんはお母さんと仲直りすると心に決め、週に1度、愛知県のホスピスまで片道5時間かけて車で通い続けたそうです。やるしかないと賭ける感じで、行動は変えられると自分に言い聞かせ、道中面会場面をシミュレーションしながら病室で発表するということを続けました。

 初めは10分限界のところ、「発表会」を続けると機嫌よくお母さんと過ごせる時間が15分、30分と増えていきました。「今日はダメだった」という日ありつつ「絶対、初日には戻らないぞ」という思いで、階段を2段上がっては1段下がりながら、ジグザグと上がっていき、そのうちにお母さんとの間の空気が徐々に変わって行ったそうです。

 青木さやかさんにとって一番難しかったのは「機嫌のいい空気感の中で、他愛もない話をする」ということでした。それが最後の最後にはできたそうです。その時の青木さやかさんは、もうお母さんのことが嫌いではなくなっていたそうです。

 母の他界後、たまたま通りがかりに「あさくま」を見つけました。数十年行っていなかったので懐かしさあまり入店し、定番メニューのコーンスープを口にした時、ふと母の顔が心に浮かび、涙が出たそうです。

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青木さやかのガンや病気

青木さやかは何ガン?

青木さやかさんは2017年で娘さんが小学2年生のときに肺がん(肺腺がん)と診断されて手術を受けました。

 「体や仕事より、もっとも不安だったのは当時小2の娘のこと」と肺がんになった時の“恐怖” を語っています。

 さらに2019年にも再発が疑われ2度目の肺切除術を行っていました。この時は器質化肺炎だったそうです。

 治療を受けた当時は、悪性リンパ腫で闘病中だった母に心配をかけたくないこともあって、周囲にはほとんど知らせていなかったそうです。「仕事をしづらくなるかなとか、気を使われすぎても困るなとか、いろいろ思いました」と語られました。

 公表後は、周囲の優しく温かい気遣いにとても感謝しているそうです。

患っている病気は?

青木さやかさんは娘が2歳の時に離婚をして『パニック症』を患った時期がありました

 離婚した当時、八方塞がりだったという青木さやかさん。人間関係もうまくいかず、とにかく、毎日が全然楽しくなかったといいます。

 何かを変えたいと思っていたけれど、自分を楽にしてくれそうなものが何も見つからず、根本に親子関係があることもわかってはいたそうですが、それは「どうしようもないこと」だったと振り返っています。

 親子関係については前述の「青木さやかの生い立ちや毒親母とは?」で紹介した通りです。根深く深い傷となっていたことがわかりました。

 少し前までは「これぐらいでいいか、という気持ちが、どこかありました」と、年齢的なことや病気を重ねたこともあって、やりたいことが狭まっていたそうです。

 しかし元気を取り戻したことで「何でもチャレンジできる」という勇気が湧いてきたという青木さやかさん。10年あまり『元気がなかったんだな』と気がつき、今は何もかもやりたいと若い頃よりも強く、そう思っているそうです。

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青木さやかの娘の学校

結婚相手は誰?

 2007年10月22日、前田健氏に紹介された3歳年下のダンサーと出会って、半年で結婚することを発表した青木さやかさん。 24日に婚姻届を提出しました。

  2009年7月30日、一部スポーツ紙での報道を受け、同日レギュラー出演する『森田一義アワー 笑っていいとも!』 生放送で妊娠3か月(第1子)であることを発表しました。

 2010年3月に第1子となる女児が誕生するも、2012年3月に「生活環境や考え方の相違が、努力では埋まらないものだった」と離婚を発表しました。

青木さやかの娘

青木さやかさんの娘さんは 2010年3月8日生まれです。2025年11月現在、15歳・高校1年生です。

 2010年3月8日、都内病院で第1子となる3,085gの女児を出産した青木さやかさん。産後3ヶ月で『笑っていいとも!』に復帰し、芸能活動を再開しましたが、その後、育児専念のため、9月いっぱいの出演をもって『笑っていいとも!』を正式に降板しました。

 娘さんが2歳の時に離婚し、親権は青木さやかさんが持ちました。趣味は「料理」「住宅図を見ること」「子育て」で、特技は「ピアノ」「料理」と公言しています。

 娘さんの名前や顔出しなど詳細は公表していないためわかりませんでしたが、時々SNSに投稿される画像から、娘さんの成長を垣間見ることができます。

5歳の娘さん(2016年9月投稿Instagramより)
9歳の娘さん(2019年4月投稿Instagramより)
10歳の娘さん(2020年3月投稿Instagramより)

娘の学校は?

2025年4月投稿Instagramより

 青木さやかさんの高校一年生の娘さんは次の学校出身と言われています。

幼稚園は『和光幼稚園』:年中から
小学校は『和光小学校』:内部進学
中学校は『和光中学校』:内部進学
高校は『和光高校』:内部進学

 Instagramで「娘の文化祭にいきました」と報告した青木さやかさん。制服姿の高1長女との仲むつまじい親子2ショットを披露しています。「めっちゃいい笑顔」「身長も同じくらいですか?」「素敵な親子」といったコメントが寄せられています。

2025年11月投稿Instagramより

 「あまりにも自分の高校時代と違っていていちいち衝撃をうけながらも、いちいち顔色を変えない立派な大人になりました(わたしの話)」と自身の高校時代を回顧した青木さやかさん。

 学校で見た娘さんのイキイキとした姿に「楽しそうで、よかった!それに尽きる!」と母心たっぷりに思いを記しました。

 娘さんの肩を抱きニッコリの青木さやかさん。並んだ様子からは、身長165センチの母と娘がほぼ同じ背丈であることがうかがい知れます。「素敵な親子」「めっちゃいい笑顔」「身長も同じくらいですか?素敵になりましたね」「いい写真 良き母娘です」など、さまざまな声が寄せられています。

ちなみに青木さやかさんご自身は地元・愛知県立瀬戸高等学校出身で、名古屋学院大学外国語学部中国語学科を卒業しています。

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青木さやかについてまとめ

 今回「青木さやかの娘の学校はどこ?ガンなど病気についても調査【ボクらの時代】」と題し、青木さやかさんについて紹介しました。以下本記事のまとめです。

🟡青木さやかさんは愛知県尾張旭市出身で、ご両親ともに小学校教師という家庭環境で育ちました。家族には弟もいます。高校時代に両親が離婚してから母親に対するわだかまりを抱えるようになりました。毒親の「お母さんが嫌い」な人生を送ってきました。
🟡青木さやかさんは2017年に『肺がん(肺腺がん)』と診断されて手術を受けました。2019年には器質化肺炎を患い、2度目の肺切除術を行っていました。
🟡青木さやかさんの娘さんの学校は、幼稚園から高校まで内部進学で和光学園ではないかとされています。

 毒親というお母さんのこと、離婚、シングルマザー、大病を患うなど波瀾な人生を経験されたものの、やはり青木さやかさんには、笑顔で楽しく面白い人のままであってほしいです☆彡 今後の活躍も楽しみにしています^^♪

ボテン
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最後まで読んでいただきありがとうございました(^-^)/~~~

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