松山智一(現代アーティスト)の学歴経歴|作品や書籍,展示会についても調査!【徹子の部屋】

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こんにちは、ボテンです。

 今回は、ニューヨークを拠点に世界で活躍する日本人・現代アーティストの松山智一さんについてです。『徹子の部屋』に出演され「初めて知った」という声も多いようです。異色の経歴やグローバルなアーティスト活動に驚いた人も多かったのではないでしょうか。

 「僕がアートで目指すのは高級なお寿司じゃなく、最高のカリフォルニアロール」

 そんな松山智一さんの学歴 経歴や、作品 書籍 展示会について調べてみました。一緒にみていきましょう!

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現代アーティスト 松山智一について

画像元:Instagramより

 はじめに松山智一さんのフィールから見てみましょう。

名  前 松山 智一(まつやま ともかず)
生年月日 1976年4月30日・49歳(2025年5月現在)
出  身 岐阜県高山市
職  業 現代美術家(現代アーティスト)
居  住 アメリカ・ニューヨーク在住

 幼少期、牧師であった親に同行し、8歳〜12歳頃をアメリカ・カリフォルニア州オレンジ郡で過ごしたという松山智一さん。移民の子供たちと仲良くしていたそうです。移動手段はスケートボード、というほどスケボ少年だったそうです。

 帰国すると日本の学校に入ります。いわゆる帰国子女です。飛騨高山が近く、自然な流れでスノーボードに移行したそうです。

 アメリカ在住歴は17年ということで流暢な英語を話されます。

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現代アーティスト 松山智一の学歴

①『暁星国際中学校』『暁星国際高等学校』アングロアメリカンコースに進学

 ちなみに中学高校時代は、アートの「ア」の字もなかったという松山智一さん。アングロアメリカンコースは現在インターナショナルコースとして存続しています。2025年現在、中学校は偏差値42、高校は偏差値61となっています。

②『上智大学 経済学部経済学科』に入学

 クリスチャンの父の影響と、コンパクトなキャンパスの感じが好き、という理由で上智大に進んだ松山智一さん。将来に明確なビジョンが無かったため、経済学部に進んだ理由は特にないそうです笑

 大学時代はスノーボードに打ち込み、セミプロとしてさまざまなスポンサーからサポートを受けるほどでした。海外遠征をしたり雑誌の誌面を飾ることもあったのだそうです☆彡

 大学3年生・最終学年を目前「フルシーズンでスノーボードにをやる!」と決めた矢先、日本でのシーズン前のタイミング、年明け早々に足首を複雑骨折してしまいました。

 リハビリに要した時間は10ヵ月。当然そのシーズンは棒に振ることに。“スノーボードを辞めても表現できるものはないか──。” 模索した結果『ものづくり』=“アートの世界”にたどり着きました。「何かを表現する仕事に就きたい」と考え、就活はしませんでした。

③『桑沢デザイン研究所 ビジュアルデザインコース』の夜間部へ

 まずは表現を学ぼうと、一年間リハビリを続けながら大学在学中にも関わらず、夜間に桑沢デザイン研究所に通い始めた松山智一さん。決意後の行動力がすごいですね☆

 向上心の高さと負けず嫌いな性格の松山智一さんは、スノーボード時代の人脈を駆使し、雑誌のイラストを描いたりボードウェアのデザインをするようになりました。就職のため代理店の面接を受けましたが上手くいかず、ニューヨークに目を向けるようになります。

④アメリカの名門美大“NY Pratt Institute”へ入学

 松山智一さんは大学卒業後の2002年に再び渡米しました。ニューヨーク私立美術大学院のプラット・インスティテュートコミュニケーションズデザイン科に進学します。

 「すごいクリエイティブなことをするぞ!」と期待に胸を膨らませ、アートの本場ニューヨークへ行ってみたものの、刺激も手応えもあまり感じなかったといいます。「日本でしたくなかったことと一緒だ」と感じたそうです。

 ブルックリンのアーティストたちとの出会いにより「学校で何を学べるか」よりも「ニューヨークから何を吸収できるのか。どう成長できるのか。」と志向が移り、独学で作品制作へ取り組むようになったそうです。

 ニューヨークでの生活は、1日2ドルの貧乏生活だったそうです。とりあえず画材屋でキャンバスを買い、学校に通いつつ自分の作品を探る日々。美術史のDVDを数千本見て、素晴らしいアート作品の価値が分かるようになり、ニューヨークの美術館制覇に乗り出しました。

 そんな中、メトロポリタン美術館で日本美術・浮世絵を見て衝撃が走ったそうです。作品に浮世絵の要素を加え始めるきっかけとなりました。

 このような美大生活をNYで送った末、プラット・インスティテュート大学を首席で卒業しました。

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現代アーティスト 松山智一の経歴

 妻・真歩さんとブルックリンに暮らし、現在はブルックリングリーンポイントにスタジオを構え、活動を展開している松山智一さん。ペインティングを中心に、彫刻やインスタレーションも手がけます。

スタジオスタッフ全員を集めて(画像元:penより)

───Adjunct Professorを務める

 2012年から2017年5月までの5年間、NY市立美術大学School of Visual Arts(SVA)のAdjunct Professorを務めました。

───ハーバード大学で個展

 2013年4月には、ハーバード大学に招待され、アーティストプレゼンテーションを実施します。同年9月には同大学にて個展が開催されました。

───ナイキとのコラボレーション

 街に出て絵を描き続けていたところ、25mの幅の壁に描くというチャンスが訪れました。その壁画がナイキ関係者の目に触れ、コラボプロジェクトの依頼が入ったのだそうです。「初めてまとまったお金が入ってきて、よしこれで数ヶ月は食えるぞって(笑)」と当時を振り返っています。

 この頃、バンクシーやKAWSと出会い、貴重なネットワークを築くことができたといいます。また、日本の仲間たちが原宿で立ち上げたブランドのTシャツを手掛けたりと、活動の幅が広がっていきました。

───スヌーピーとコラボレーション

 2018年に『PEANUTS GLOBAL ARTIST COLLECTIVE』のメンバーとしてスヌーピーとコラボレーションしました。

───NYの伝説の壁に描く

 2019年、ニューヨークにある「バワリ―・ミューラル」に壁画を描きました。これまで名だたるアーティストが描いてきたという伝説の壁で、松山智一さんの快挙に、日本でも話題となり脚光を浴びました。

https://kotaronukaga.com/news/635/

───日本でアートスペースを監修

 2020年にはJR新宿駅東口広場のアートスペースを監修し、中心に7mの巨大彫刻「花尾(Hanao-San)」を制作しました。

 これらの作品はロサンゼルス・カウンティ美術やサンフランシスコアジア美術館など、世界の主要な美術館やコレクションに収蔵されています。

https://www.pen-online.jp/article/001169.html

───日本で高い評価を得る

 2021年、NHK「日本美術館」で特集が組まれ、松山智一さんのグローバルなアーティスト活動と作品が高く評価されました。

 松山智一さんはこれまでに、ニューヨーク、ワシントンD.C.、サンフランシスコ、ロサンゼルス等の全米主要都市、日本、ドバイ、香港、台北、ルクセンブルグなど、世界各地のギャラリー、美術館、大学施設等にて個展・展覧会を多数開催しました。

 また、Microsoftコレクション、ドバイ首長国の王室コレクション、サンフランシスコのアジアンミュージアム、アメリカのホテルグループAndre BalazsやCosmopolitan Hotel Group等に、松山智一さんの作品が多数収蔵されています。

 直近で2025年の3〜5月には、麻布台ヒルズギャラリーで『松山智一展:FIRST LAST』が開催されました。東京で初となる大規模個展です。
 現代アートの本場ニューヨークで活動し、いまや世界が注目する次世代のアーティストの一人となった松山智一さんの日本初公開となる大規模作品・15点を含む約40点が展示されました。

2025年『松山智一展:FIRST LAST』(画像元:美術手帖より)

本展について 松山智一さんからのメッセージ

「多様な文化が交錯するニューヨークで20年以上活動し、日本とアメリカというルーツを持つ自身にとって東京での展覧会は大きな意味を持ちます。国や言語、文化や世代を超えていま同じ時代を生きる私たちだからこそ感じることがあると思っています。作品世界に足を踏み入れ、鑑賞者としてだけでなく、作品への参加者、対話者として体験してもらえればと思います。」

引用元:PR TIMESより

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現代アーティスト 松山智一の作品や書籍、展示会について

 基本的に毎日が思考と試行の連続で、高みに近づこうとすればハードルは上がるけれども、自分に厳しくいたいという松山智一さん。

 アイデアも出てこないし、苦しいと感じることもあるそうですが、やはり継続こそが力で、ニューヨークでは続けられる人しか成功にはたどり着けないと言います。

 毎朝7時にスタジオ入って、長い日は15-16時間仕事をするという松山智一さん。継続には気力と体力、そして自己管理が必要不可欠であることがわかりますね。

 松山智一さんは日本人であり、アジア人であり、ニューヨーカーであることに誇りに思い、ニューヨークを象徴する文化の一部になりたいと活動しています。「今はその一端を担えるところにいる」と信じ、アーティストとして歩み続けています。

松山智一の作品

 絵画を中心に、彫刻やインスタレーション作品もある松山智一さん。アジアとヨーロッパ、古代と現代、具象と抽象といった両極の要素を有機的に結びつけて再構築し、異文化間での自身の経験や情報化の中で移ろう現代社会の姿を反映した作品を制作しています。

画像元:penより

 「今でも美大で教わるようなアカデミックな写実絵画は描けないんですよ。だからと言って表現ができないわけでは全くなく、自分の等身大の表現言語を追求してきただけです。」

 そう語る松山智一さんは、90年代のカルチャーに多大なる影響を受け、その一端であるヒップホップやハウスのようなクラブミュージックを聞いて育ったそうです。

 25歳でアメリカに渡りましたが、独学でアートをはじめることとか、描けないんだったら描けないなりのやり方があると思っていたそうです。

 音楽でもファッションでもクリエーターが必ずしも正規な教育を受けていなくても、サンプリングという手法(既存のリソースにアレンジを重ね合わせる事)を活用して聞いたことがない作品を生み出してきました。

 受け手側の「こうすればもっと面白くなるかもしれない」という発想とカスタマイズという世代の言語に影響を受け、アート創作に用いてきたと話しています。

 そもそも美術は、前時代の巨匠を描き直しているのだそうです。日本では宗達の描いた風神雷神を、光琳、抱一が描き直し、海外ではピカソがベラスケスを描き直しているのだそうです。

 つまりすでにあるものをさまざまなチューニングを使って、ひとつの新しい表現方法として成立させることができたのです。

 どういうことなのか、過去のインタビューで例題として用いられた2作品をご覧ください⇩⇩

(画像元:no+eより)
(画像元:no+eより)

 このように国や文化を越え、時代を越え、独自の感性でカスタマイズした結果、唯一無二の見たことがない作品がアートとして生まれるのだということです。

(画像元:no+eより)

「up or out」で進化しつづけるか消滅するか。作家としての戦い──

 ニューヨークで活動して思ったこととして、普遍的で天才的なアイデア、生まれ持った才能という概念は存在しないんだと痛感したそうです。表現の焦点が違うところに存在するからと言います。

 新しい社会を様々なアングルから捉えるアーティストが生まれてくる環境では、表現の面白さも多角的で自由である一方、熾烈な生存競争が繰り広げられていて、毎日ふるいにかけられながら、時代と共振する作品をつくりつづけることが松山智一さんの目標なのだそうです。

松山智一の書籍

 松山智一さんの書籍はこれまでに12冊出版されています。表紙からも魅力が伝わってくるようです。松山智一さんのアートの世界が炸裂した見応えたっぷりの作品集がほとんどとなっています。

(01)Tomokazu Matsuyama Mythologics (VFMK、2024年)
(02)Boom Bye Bye Pain (KOTARO KUKAGA、2023年)
(03)Tomokazu Matsuyama IN AND OUT (カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社、2021年)
(04)美術手帖2021年6月号「松山智一」(美術出版社、2021年)
(05)Fixed Contained(KOTARO NUKAGA、2019年)
(06)No Place Like Home(Zidoun-Bussuyt Gallery、2018年)
(07)Tomokazu Matsuyama(HOCA Foundation、2017年)
(08)Tomokazu Matsuyama(Zidoun-Bussuyt Gallery、2016年)
(09)A Thousand Regards-Tomokazu Matsuyama(パノラマ、2013年)
(10)Further(GingkoPress社、2009年)
(11)Tomokazu Matsuyama(パノラマ、2009年)
(12)Found Modern Library(GingkoPress社、2007年)

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松山智一の展示会(個展)

 経歴で紹介しましたが、2025年3/8〜5/11に麻布台ヒルズギャラリーで、東京で初となった大規模個展『松山智一展:FIRST LAST』を終えたところです。日本初公開となる大規模作品15点を含む、約40点が展示されました。

 2月には準備のため帰国されましたが、ニューヨークを拠点に活動する松山智一さんは、2023年〜24年に弘前れんが倉庫美術館で『松山智一展:雪月花のとき』を開催した時以来の日本での個展となったそうです。

 その間の一年は、上海で展覧会をし、ヴェネツィアでビエンナーレの会期中に最大規模の個展をし、さらにパリのフォンダシオン ルイ・ヴィトンでのグループショーに参加されていたということです。

 松山智一さんは、大学卒業後25歳で単身アメリカに渡り、ゼロからアーティストとしてのキャリアを歩んできました。四半世紀経過した今、グローバルなアーティスト活動に高い評価を得た松山智一さんを、まるで輸入の形で作品とともに日本に到来したような感覚です。

 今後の個展やグループ展、プロジェクトなど展示会の予定は発表されていません。これまでだと活動の9割が海外だったように見受けられますが、日本での割合もどんどん多くなると嬉しいですね☆彡

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松山智一についてまとめ

 今回「松山智一(現代アーティスト)の学歴経歴|作品や書籍,展示会についても調査!【徹子の部屋】」と題し、現代アーティスト・松山智一さんについて紹介しました。以下本記事のまとめです。

🟡松山智一さんの学歴は、①『暁星国際中学校』『暁星国際高等学校』②『上智大学 経済学部経済学科』③『桑沢デザイン研究所 ビジュアルデザインコース』④アメリカの名門美大“NY Pratt Institute”卒です。決断後の行動力に驚きです。
🟡松山智一さんの経歴は次のとおりです。Adjunct Professorを務め⇨ハーバード大学で個展⇨ナイキとのコラボレーション⇨スヌーピーとコラボレーション⇨NYの伝説の壁に描く⇨日本でアートスペースを監修⇨国内で高い評価を得る
🟡松山智一さんの作品は、両極の要素を有機的に結びつけて再構築し、異文化間での自身の経験や情報化の中で移ろう現代社会の姿を反映させ制作しています。書籍は、見応えたっぷりの作品集がです。展示会は日本初の大規模個展『松山智一展:FIRST LAST』を終えたところです。海外開催がほとんどです。

 ゼロからアーティストとしてのキャリアをニューヨークで歩むこと四半世紀。日本でも松山智一さんへの注目が高まってきました^^ このエネルギーに満ちた、色彩が叫んでいるという世界観をぜひ体感したいですね♪ 今後の活躍にも目が離せません☆彡

ボテン
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最後まで読んでいただきありがとうございました(^-^)/~~~

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