水谷川優子[チェリスト]は総理の末裔?家系図から先祖家柄を調査【高嶋ちさ子親友】

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ボテン
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こんにちは、ボテンです。

 今回は世界的に活躍されているチェリストの水谷川優子さんについてです。バラエティー番組『プラチナファミリー』に高嶋ちさ子さんの“ガチお嬢様”親友として出演され、数々の面白エピソードや一族のスケールの大きさが衝撃的で注目を集めています。

 総理大臣の末裔で、豪華な血筋を持ち、生活拠点が海外だという水谷川優子さんの家系図から、先祖や家柄について調べてみました。一緒に見ていきましょう!

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水谷川優子[チェリスト]は総理大臣の末裔?

 水谷川優子さんの祖父は指揮者の近衛秀麿さん。祖父の遺志により水谷川優子さんは5歳からチェロを始めたそうですが、その祖父の兄にあたる伯祖父1937〜1941年にかけて3度の内閣総理大臣を務めた近衛文麿なのだそうです。

近衛文麿氏(画像元 wikipediaより)

近衛文麿(このえ ふみまろ)|水谷川優子の伯祖父

生年月日:1891年(明治24年)10/12 摂関家の名門・近衛家の第30代当主として生まれる
没年月日:1945年(昭和20年)12/1654歳没

🔵第34・38・39代内閣総理大臣を務めた歴史的重要人物。外務大臣、拓務大臣、農林大臣、司法大臣などを一時兼務。
🔵外交政策では日独伊三国軍事同盟や日ソ中立条約を締結
🔵太平洋戦争中、昭和天皇に「近衛上奏文」を上奏し戦争の早期終結を唱えた。戦争末期には独自の終戦工作も展開。
🔵太平洋戦争終結後、東久邇宮内閣にて国務大臣として入閣。大日本帝国憲法改正に意欲を見せたもののA級戦犯に指定され服毒自殺した。

 京都帝国大学を首席で卒業した近衛文麿氏。貴族院議員として政界入りし、46歳・当時最年少総理大臣就任となりました。

 日本が戦時下である激動の時代の任期。外交の行き止まりによる重責から内閣を退陣することになります。戦争責任については厳しく批判を受け、日本の総理大臣経験者として死因が自殺というのは唯一であり、54歳2か月での死去はもっとも若い没年齢になります。

 戦時下の政治家として壮絶で波瀾万丈の生涯だった事が調べるほどわかりましたが割愛させていただきます。
 兎にも角にも近衛家当主としてのプライドと教養の高さは広く認められており、現代もなお近衛家の名は日本の政治・文化の歴史に深く刻まれています。

 水谷川優子さんの祖父の兄・近衛文麿氏が総理大臣経験者だったことがわかりました。ちなみに親友の高嶋ちさ子さんは、水谷川優子さんが総理の末えいだったことを番組で初めて知ったそうです☆彡

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水谷川優子[チェリスト]の家系図

 水谷川優子さんの家系図を見てみましょう。先祖を辿っていくと驚くことに、1571〜1617年の後陽成天皇にまで繋がります!公家・五摂家筆頭の近衛家の末えいであることがわかります。

 途中「養子」や「愛人」という流れもあり、少々複雑なところもあるようです。錚々たる人物がたくさん登場しているので、今回は水谷川優子さん周りの家族を見ていきたいと思います。

 バラエティー番組『プラチナファミリー』で公開された水谷川優子さんの“華麗なる一家”は次のとおりです。代々の音楽ファミリーで、水谷川優子さんはサラブレットですね♪

ヴァイオリスト|母・水谷川佐喜子さん 姉・水谷川陽子さん

 水谷川優子さんはチェリストですが、母・水谷川佐喜子さん姉・水谷川陽子さんはヴァイオリン奏者です。母・佐喜子さんは2024年5月に他界されました。
 姉・陽子さんはヴァイオリニストとして活躍されています。インスタによると陽子さんはスイス在住のようです。家系図から陽子さん一家をまとめるとこんな感じになります⇩

姉・陽子(日本)夫・ヨハン(スイス)
子・ドミニク(スイス)
 子・娘二人(海外居住)

作曲家|父・水谷川忠俊さん

父・水谷川忠俊(画像元 wikipediaより)

 水谷川優子さんの父・水谷川忠俊さんは、作曲家であり雅楽研究家です。1935年12月9日生まれで89歳(2024年11月現在)です。旧姓は“近衛俊健”。家系図から忠俊さん周辺をまとめるとこんな感じです⇩

祖父・近衛秀麿(日本オケの基礎を作るった指揮者、作曲家)
伯父・近衛秀健(作曲家・指揮者)
 父・水谷川忠俊 旧姓・近衛俊健(作曲家)母・佐喜子(ヴァイオリニスト)
 姉・陽子(ヴァイオリニスト)
  本人・優子(チェリスト)

指揮者・作曲家|祖父・近衛秀麿氏
男爵・貴族院議員|近衛秀麿氏の末弟・水谷川忠麿氏

 父・水谷川忠俊さん(旧姓は“近衛俊健”)は、近衛秀麿氏の三男ですが非嫡出子として誕生します。1939年10月19日・3歳の時に、祖父の末弟である水谷川忠麿氏の養子となり改名されました。物心ついたときは東京千駄ヶ谷の忠麿氏のアトリエにおり、生母の記憶はないといいます。

 水谷川忠麿氏は1961年5月に58歳の若さで他界されました。近衛秀麿氏も1973年6月に74歳で他界されています。

祖父・近衛秀麿(画像元 wikipediaより)
近衛秀麿の末弟・水谷川忠麿(画像元 wikipediaより)

 水谷川優子さんの祖父の代を家系図からまとめるとこんな感じです。⇩

曽祖父・近衛篤麿(公爵)
長男・近衛文麿(内閣総理大臣)
 次男・近衛秀麿(指揮者・作曲家)非嫡出・坪井文子
 父・3歳まで近衛俊健
 三男・近衛直麿(ホルン奏者)
 四男・水谷川忠麿(男爵・貴族院議員)
 父・3歳から水谷川忠俊

水谷川優子の先祖

 このように水谷川優子さんから血縁を辿っていくと、一人一人が歴史的重要人物であり、割愛させていただきましたが「徳川」「藤原」とも繋がり、まぁ書ききれないほど錚々たる人物が続々登場します!

 水谷川優子さんはまるで皇室の方のような、美しくて品のある言葉遣いで話されます。“ガチお嬢様”と称されるのも、高い品格の代々歴史ある家柄故ですね。水谷川家の祖先を辿ってみます。

水谷川家

 水谷川家は、近衛忠熙の子である水谷川忠起を始祖とし、奈良華族として列せられました。

画像元 Wikipediaより

水谷川優子の家柄

近衞家

 近衞家は、藤原忠通の子である近衞基実を始祖とし、五摂家の一つでした。

五摂家とは
鎌倉時代中期に成立した藤原氏嫡流で公家の家格の頂点に立った近衛家・一条家・九条家・鷹司家・二条家5つの一族のこと。大納言・右大臣・左大臣を経て摂政・関白、太政大臣に昇任でき、藤氏長者に就く資格を有した。

画像元 Wikipediaより

 近衛家は、信尋-尚嗣-基熙-家熙-家久-内前-経熙-基前-忠熙-忠房-篤麿-文麿-文隆と血統を伝え、明治期には公爵家となりました。

画像元 Wikipediaより

皇室との関係

 皇室との関係は、後陽成天皇の男系12世子孫であります。後陽成天皇の第四皇子で、近衛信尹の養子となり(近衛家を継いだ)近衛家19代目当主となった近衛信尋。これにより近衛家は皇別摂家となりました

画像元 Wikipediaより
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水谷川優子[チェリスト]についてまとめ

 チェリスト・水谷川優子さんは総理大臣の末裔です。伯祖父が1937〜1941年にかけて3度 内閣総理大臣を務めた近衛文麿氏です。

 チェリスト・水谷川優子さんの家系図から先祖を辿っていくと、1571〜1617年の後陽成天皇にまで繋がりました。家柄は、公家・五摂家筆頭の近衛家の末裔です。
 家族は祖父が指揮者、父が作曲家、母と姉がヴァイオリニストと、著名な音楽一家でサラブレットであることがわかりました。

 今回、チェリストの水谷川優子さんについて、総理の末裔なのか、家系図から先祖や家柄を調べてみました。皇室・政界・音楽界、どこをとっても歴史上重要人物の血統を持った水谷川優子さん。音楽一家に生まれ育ち、チェロに身を投じて世界中で豊かな音楽を奏でている背景には、スケールが大きすぎる血縁に驚かされました!今後の活躍も楽しみにしています☆彡

ボテン
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最後まで読んでいただきありがとうございました(^-^)/~~~

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